青い鯨に思う、ネットの未来と私たちの絶望

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SNSのチームに入ると、毎日任務が与えられる。それをこなしていくと次第に洗脳されやめられなくなり、50日目の任務「高層ビルから飛び降りる」を果たしてゲームも人生もエンド、というとんでもない「ゲーム」があるそうです。

 

正体はロシア発祥の「青い鯨」

このゲームは「Blue Whale(青い鯨)」と言い、2015年にロシアではじまり考案者は既に逮捕されているそうです。しかし2年が経った今でも各国のSNSでじわじわ広がり続け、ヨーロッパや南米など次々に上陸し、インドでは既に3人の死者が出たというネットニュースを読んでこのことを知りました。
中国にも上陸しているそうで、中国版FaceBookのQQなどではたくさんのコミュニティがあるらしいです。コミュニティを運営していた17歳の男子高校生で逮捕されたとか。

私はYahoo!ニュースではじめて「青い鯨」のことを知りましたが、世界的に問題になっているそうですね。

headlines.yahoo.co.jp

鯨は自殺する

鯨が時に自ら陸に乗り上げて自殺のような行動をすることになぞらえて、「Blue Whale(青い鯨)」と名前が付いたそうです。
つまり、最初から自殺を意識したゲームということですね。最初の方の任務は「朝4時20分に起きる」「誰とも話さない」などですが、次第に「死ぬ準備ができたら太ももにYESと刻む」「腕にカミソリで鯨の絵を描く」など痛々しいものにエスカレートし、最後は飛び降り自殺となるわけです。
恐ろしいのは考案者は心理学を知り尽くした人で、一見意味がなさそうな「朝早く起きる」というのは寝不足で判断力をなくさせるためとか、「誰とも話さない」など周囲から孤立することで、
自分は社会にいらない人間なんだと思い込むようになったりと、続けていくうちにどんどん洗脳されてしまうそうです。
考案者はなぜこんな恐ろしいことを考えるんでしょうね。自分の学んだ心理学の正当性を試したかったのでしょうか、それとも、人が自分の考えたゲームに洗脳されて死んでいくのを見るのを好んだとか・・・?

 

ネットはどこに行く?

「青い鯨」に参加するにはSNSグループに加入して毎日任務を報告する義務があるそうですから、もちろん好奇心や自己顕示欲で参加した人もいるでしょう。しかし、それこそネット全盛の今、自己顕示の手段はたくさんあるのにその中でどうして自殺ゲームを選んでしまうんでしょう。なぜこんなに不気味なゲームが世界の若者を惹きつけてしまうのでしょう。自己顕示欲も死の方に向かうっていうのは何か怖いような気がしますね。まだナイトプールでドヤってる方が前向きというか・・・。

 

「青い鯨」に参加する人は、本気かどうかはともかく、きっと死や自殺というものに魅力を感じてしまっているのではないでしょうか。本気で悩みぬいて死しかない、と決断の末自殺する人は、こんなゲームなんて参加しないで自分で決めた手段で果てるんだと思うんです。だから、このゲームに参加する人は、少なからず死や自殺に憧れのような感情を持っていて、しかもそんな若者は世界中に割といるんじゃないかと思うんです。
ゲーム自体の危険性もそうですが、若者たちが持つ絶望や闇も本当は問題なんじゃないかなあ。なんて、お安い分析になってしまったけど。もちろん、「こんな世界じゃこんなゲームが出来てしまうのは仕方ない」、と「青い鯨」を正当化するつもりは一切ありません。ただ、それに惹かれてしまう人がいるというのが、どうしても気になってしまう。

 

こういう闇って、ネット普及以前からもあったんでしょうか。単純にネットのおかげで表面化しやすくなっただけならまだ分かりますが、逆にネットのせいで自分に届かない世界や、汚い社会の絶望を知って悲観する人が増えたとかだったら、ネットの未来ってどこに行くんだろうとか思ってしまう。

このままネットが個人単位で膨らみ続けたら、将来ドラえもんの21世紀みたいな社会になった時、ネットの技術は発展し続けても自由なインターネットは禁止、なんてことになっていたりなんかして?お、SFっぽいな。

 

私たちのゆるやかな絶望

「青い鯨」の参加者は10代から20代の若者が多いそうです。一般的に若者は判断力が未熟だからとか、SNSで自己顕示欲を示したいだけとか色々理由は考えられますが、私はなんとなく、それだけ絶望している若者が多いのかなと思います。

 

すぐ自殺するほどではないけど、ああ世界って魅力ないな、別に死んでもいいかもな、むしろ死んだら楽かもな、とゆるやかに絶望している人が多いのではないでしょうか。多いのではないのでしょうか、って他人事みたいに言ってみましたが、私も多分その中の一人です。感傷に浸りたいわけでも、皆と違う自分に酔いたいわけでもない。でもなぜかほんのすこし、ずっと続く生きづらさみたいなのを抱えている、よくある一人。

 

ただ、私はこのゲームを知った時は嫌悪感しかなくて、何でこれに惹かれる人がいるのかは、あんまり理解できませんでした。「死をゲーム感覚で扱うな」という正義感的な何かか?と最初は思ったのですが、「〇〇しろ」なんて顔も知らない他人に命令され続けて死んでいく気になんてなれないわ!という反発精神みたいなものかも知れません。

だから正確には絶望している=「青い鯨」に惹かれるという方程式では全然ないのですが、ともかくこういうゲームがあって、しかもやる人がいるというのが単純になんか怖いなあと思います。当たり前ですが私の知らない種類の絶望を抱えている人もいるんだなと、改めて気づかされたニュースでした。

 

生きづらいという言葉

ちょっと脱線しますが、この「生きづらい」って言葉、すごく的確だなと思う。死にたいわけじゃないけれど、普通に生きてるだけだけど、なぜかいつも苦しい。そんな人の心情にこの言葉はぴったりだ。


どうして生きづらいと思ってしまうんだ?と考えてみると、まあ元々コミュ症とか超内向的とかそんなのもあるんですが、ミニマリスト的に言えば資本主義社会は私たちを本当の意味で豊かにしなかったとかそんなことも言えるのかも知れません。断捨離が持て囃されてミニマリストという言葉が注目されるようになった今、確かにそんな側面もあるんでしょう。
日本の若者はお金を使わなくなった、結婚しなくなった、妙に冷めてて悟ってる人が増えたなんて言われてますが、それは世界的にも言える傾向なんじゃないでしょうか。むしろミニマリストを名乗ったり生き方を発信するのって、元々アメリカ人発祥だったような気もするし。

 

なんだか散らかった文章になってしまいましたが、絶望して生きづらいと思いながら二十数年生きてきた私が見つけた小さな希望が色々な意味でのミニマリズム(物だけでなく、頭の中も)だったので、それを追い求めるのが、今の私にはささやかな支えになっていたりもします。